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4月の思い出「①愛猫の死から4年」

 4月中旬も連日、快適なお天気が続いている。
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マンハッタンで見かけた桜とチューリップも春らしく輝いていた。


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 もうすぐ4/15、その日は愛猫ミケの命日。032.gif
彼が他界し4年経った今になり、嬉しい発見があったので、これを機にミケとの思い出と当時のミラクル・ストーリーを綴ってみたくなりました。



2006年4月15日、11:59am,愛猫ミケ永眠。17歳と10ヶ月の命でした。


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1989年1月、NY生活がスタートして1ヶ月が過ぎた頃、我が家に一匹の猫がやってきた。私のNY生活の第一歩は大好きな猫を飼うこと、それは生まれて初めてのペットとなった。


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マンハッタンにある「ASPCA」という動物愛護団体に足を運び、そこで猫をアダプとすることにした。まずインタビューを受ける。すると猫の性別や子猫の指定不可、日中在宅時間が少ない家庭には生後4ヶ月以上ならOKということで、生後4ヶ月以上の猫のいる部屋に通され、その中から好きな猫を選ぶことに。

最初から茶トラと決めていて、その部屋には1匹しかおらず即決でした。その茶トラは私たちが近づいた瞬間、背伸びをして、「ニャーン」となきながら手招きポーズをしたので、まるで私たちを待ちわびていたかのようでした。ペットも縁のある者がやってくることは後から知ったこと。

名前は呼び易いという理由で、「ミケ」と名付け、ペットのいる生活は一転して楽しいものだった。


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ミケは1988年6月生まれで、私が結婚する2ヶ月前に生まれたことになる。

1歳未満のミケは無邪気で悪戯盛り。部屋にあるもの全てが珍しく、偵察したり、何処にでもジャンプしたり、ソファで爪研ぎ、トイレットペーパーは芯になるまでカラカラと手で散らかすし、まずは躾から。それでも雄でも大人しい性格のようで、人を引っ掻くことはせず、じゃれて人の手を噛む時も加減して軽く噛んでいた。


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飼い始めて数日後、彼の便に幼虫発見!更に片耳が痒いらしく手で引っかくのは耳ダニらしく、早速獣医に連れていき、2日入院。「こんな病気を持っていたなんて、アダプトする前は一体どんな生活をしていたのだろう?」と。



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猫も訓練すれば「お手」をすると知っていたので、Mr.による3日間の特訓にて、「お手」と「おかわり」は唯一の芸となる。定期的に毛玉を吐くので、猫用の草を与えたり、野菜は茹でたブロッコリー・アスパラガスが好物で、レタス・キャベツ・ほうれん草・コーンなどもパクパク食べていた。そのせいか便は人間並みで、便の状態は彼の健康のバロメーターに。



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6歳の時、留守のため友人の猫(黒タマちゃん)を2週間程預かったが、ミケとは相性がよくなく常に喧嘩ばかりしていた。喧嘩なのかじゃれているのか、取っ組み合いするごとに弱いミケは負けていた。誰に似たのか情けない・・・



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      (黒タマとじゃんけんぽん、パーーとパーで引き分けだにゃ。)

大病することはなかったが、歳をとるごとに歯が抜けていき、12歳の時に歯肉が腫れてしまい、一度だけ歯の治療のため手術で一泊入院。退院後の3日間はグッタリとうなだれていたので、このまま死んでしまうのではと心配になり、悲しくなって泣いている私の顔をジーと見ていたミケは翌日から蘇るほど元気になった。その時、もう二度と麻酔は受けさせないよう誓った。

猫は10歳を過ぎた頃より老年期に入るが、この頃から動物の本能や習性を尊重し、なるべく自然体を望む姿勢にしていこうと。


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12歳の時、当時勤務していたTV局からCM用の猫募集を知り、TVCMに出演したミケ。ステージママじゃないが、そのCM映像もしっかり保管している。





歳を重ねていくうちに、野生の本能も薄れていき、鳥や虫にも興味を示さなくなり、ジャンプ力も衰え、一日の睡眠時間も増えていった。

2005年4月15日、一緒に遊んだ黒玉ちゃんは腎臓病を患い、享年15歳で永眠した。

2005年10月には、親友K子さんの愛猫ゴンちゃんも21歳(人間でいうと100歳)という長寿だったが、他界してしまった。彼女にしたら、生まれたばかりの子猫を日本から遙々海を越えて共にやって来た我が子同然の猫だっので、悲しみも深かったようだ。当時、老猫を抱えている私も人事とは思えなかったが、21歳まで生きられるということが励みになり、ミケも20歳まで生きてくれると期待した。

それから5ヶ月後の2006年3月、ミケの体調に変化があり、食欲が落ち吐く回数も増えてきた。春先になると、いつも胃腸の調子が悪くなるので、いつものことかとあまり気にせず暫く様子を見ていたが、お腹の辺りもゲッソリ痩せてきていたので心配になり、いつもの獣医へ連れて行った。

血液検査結果では、「脱水症」と「白血病ウィルス感染症」と診断されたが、白血病ウィルス感染症は他の猫から感染するケースでの発病はあるが、何年も他の猫との接触はなかったので、この診断結果には疑問だった。


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4月5日、ミケは今日で便秘3日目となる。ヒーリングしながら肉球・お腹のマッサージもしていく。

4月7日、水を飲むことも困難となり、後ろ足が踏ん張れなくなってきた。日に日に声を失い、「ニャーン」というなき声すらも出なくなっていった。それでも夜になると、私らのベッドで寝たいようで、自ら寝室に来てくれる。

4月9日、便秘になり一週間が経つが未だに出ない。食欲が少し出てきたようで、自ら餌にパクつく姿を見ては、「食べる」という行動がこれほど嬉しく感じたことはなかった。この時、日本のマザー・テレサ、「森のイスキア」の佐藤初女さんのいう「食は命!食べることは生きること。」の言葉が浮かんで。

4月10日、便秘が心配で再び獣医へ連れて行く。
獣医は便秘の原因は、腸に腫瘍がある可能性もあるからとバリウム・レントゲン検査で一泊入院させるといい、サッサと奥の処置室へ連れていってしまった。私も自分ではどうにもできず、獣医の言われるままに従い、それで回復してくれるならと願うばかりだった。

4月11日、ミケを迎えに行く。
検査結果を聞くと、腸に問題はないがお腹に腫瘍があるという。超音波検査を受けることを勧められ$350かかるという。そして場合によっては手術を受けることも・・・それには次々検査・検査でその度口にする$200-300という数字は不信感を抱かせ、獣医もセカンド・オピニオンが必要と思い、ネットの猫仲間がお薦めする獣医にアポをとることに。

ミケのお腹に触れると、先週までなかった硬い固まりが出来ていた。飼い主にしてみれば死なせたくない一心であらゆる手を打つが、猫は現状を受け入れていることから、なるべく猫の本能を優先しようという意識になった。

友人のヒーラーに遠隔ヒーリングを依頼してみると、ミケは意外にも冷静で、私たちに「愛と感謝」のメッセージを送っている。そして白熱灯のような明るいオレンジ色の光の玉の中にいるミケが見えたという。オレンジ色の光、それは数年前、テラスで気持ちよく昼寝をしているミケを撮った時、彼は美しいオレンジ色の光に囲まれていた。


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「ありのまま」という言葉がヒーリング・マスターから伝わってきたので、この「ありのまま」という言葉は私にとって救いのメッセージとなった。

4月12日、朝8時半、セカンド・オピニオンの獣医Dr.Freedmanを訪ねる。ミケにとっての外出時の車内では、ニャーニャー泣いたり不安な表情になるのだが、この日はすべてを受け入れているかのように落ち着いた表情だった。Dr.Freedmanに呼ばれ、一目見て彼は今までの獣医と違うものを感じた。私の説明をとても親身に聞いてくれる姿勢。その時、彼の瞳の奥に輝くものが見えた。

彼の診察と判断は的確で信頼できるものであったが、最後に「ミケも約18年も生きたと思えば十分であるとも思うし、彼がこのまま苦しむことを考えると、注射で眠らせて(安楽死)という手段もある。もし僕がこの猫の飼い主だったら、安楽死を選択するだろう。」といわれドキッとした。ペットの安楽死は決して特別なことではなく、ペットの回復の見込みがない場合は必ず獣医から告げられることだ。

私は、「わかりました。私としてはもう2,3日だけ一緒に過ごして様子をみたいのですが・・・。」と言うと、最後にDr.は、「わかった。もちろんあなたが手術や超音波検査などを望むなら、別の病院も紹介するからその時は言いなさい。」とこちらの意思も尊重してくれる言葉にも安心し、お薬を受け取り病院を後にした。

私は診察結果によってはDr.に「もしあなたがこの猫の飼い主だったらどうしますか?」と聞くつもりでいたので、彼の方から先に言ってきたので以心伝心。それと疑問だった前の獣医の診断結果である白血病ウィルス感染症は見当ず誤診であることが判明。

前の獣医は誤診の上、病状の十分な説明もなく、検査・検査で治療費ばかりが嵩み、信用できないものでした。

Dr. Freedmanと前の獣医との比較により、セカンド・オピニオンの重要性もこの経験により再び学べたのだから、すべては無駄でないということも含め、決して後悔だけはしないよう。周りの方々の協力を得ながら、こうして最後に親身に対応してくれる獣医に出会えたことにも感謝であり、ミケ自身もそれを望んでいると思えた。

ミケは、腹水が日に日に溜まっていくので、お腹が重たそうで、お腹を床につけたままの姿勢でジッとしている。歩行もますます困難になり、自力でトイレが出来なくなっていた。腹水を抜くことも可能らしいが、抜いても再び溜まってしまうし、麻酔なしで太い針を刺すことにも抵抗あり、「ありのまま」を思うと、これ以上の治療は決断できなかった。

ヒーリングの際、ミケの体の一部なのだからとお腹の腫瘍や腹水にも、全身と彼のスピリットへも愛を送る。

夕方、ミケと二人だけの時間を持ち、抱っこして何度もキスし、過去のアルバムを見せながら、いろいろなことを語った。元気な頃のミケを思い出し、「今までありがとう。もういつ逝ってもいいからね!」と告げながら思いきり泣いて悔いのないよう、できる限りの愛を送り続けた。そうしているうちに、今まで抱いていた悲しみが半減し、なんとなく気持ちが楽になってきたのだ。この日を境に私の心に変化があり、次第に不安から平安な気持ちが溢れるようになっていった。

Mr.はミケに、「いろいろありがとう。ちゃんと看取ってやるからな。」などと言っていた。自力で歩くこともままならず、2階の寝室ではトイレが遠くなるので不便だろうと、今夜からトイレのある1階のベッドに寝かせたが、夜中、モソモソ音がしたので目を覚ますと、私の横で腹水でお腹が膨れたミケがベッドにジャンプできず、シーツにもたれかかり動けないでいた。「なんでここまで来たのぉ~」と私は即抱き上げ、いつもの彼の寝床である私の枕元に寝かせた。歩行すらままならない身であるのに、15段もの階段を1段1段自力でゆっくり上がってきたようで、そこまでして一緒に寝たいというこの行動は愛くるしい。

しかし、それは私の勘違いで、彼が一緒に寝たいのでなく・・・彼は知っていた!私にとって一番の安らぎのひと時を。こうして一日が無事に終わり、家族揃って同じベッドで寝る時が何よりの至福の時であることを。これは力尽きても、ミケなりの精一杯の「愛と感謝」の行為だったようだ。007.gif

4月13日、明け方、ミケは自らベッドから降り、部屋の暗い片隅に身を寄せていた。猫は死期が近づくと身を隠す習性があるように、病弱になってからは明るい窓際を避け、部屋の暗い方暗い方へと移動していった。猫の飼い主の先輩で何匹もの猫を看取ってきた人いわく、暗い静かな場所にダンボール箱を置いてあげるといいということで、そのようにしていた。

この日買い物の途中で敬虔なクリスチャンである友人とバッタリ会った。彼女も数ヶ月前に愛犬を亡くし、暫く落ち込んでいたのだ。ミケがもう長くないことを話すと、「祈りのハンカチがあるからあげるわ。」と、その時たまたま持っていた自分の愛犬にも使用したそのハンカチを受け取った。これをペットの体にかけてあげることで、痛みから開放されるという“祈りのハンカチ“は早速ミケの体にかけてあげた。そういえば翌日は”グッドフライデー“。

夕方、黒い雲が空一面を覆うとザーと一瞬にして雨が降り止んだ。次第に雲の合間から光輝く太陽光線が顔を出してきて、不意に私はミケを抱いてテラスに出て、この日を見せようと暫く彼に見せていた。ミケは心地よさそうに外の景色をジーと眺めていた。この夜は満月。

Mr.は、もし自分がミケだったら、苦しまずに死を迎えたいと願うことから安楽死させてもいいのではないか・・・と言うが、私はなかなか決断できないでいた。というよりも、なんとなくその時に答えは出ていた。

4月14日、もう一歩も動けず、ほとんど寝たきり状態になってしまったので、窓のブラインドも閉め、なるべく暗い状態の部屋で静かに過ごせるよう心がけた。獣医が勧める安楽死。あまりに苦しそうで見るに耐えられなくなってきたら、実行することも頭に入れていたが、ミケは堪えているのかもしれないが、そんなに苦しんでいる様子には見えず、ここへきて自然にお任せしようという気持ちが強まっていた。

過去3匹の猫の死を経験しているベテラン猫ママでもあるY子さんよりメッセージが届く。「猫は身体の具合が悪くても苦しむということはなく、不快感はあるが辛くはないということ。とにかく愛して、愛してそれを伝えてあげること。そして何へのお別れかというと、過去へのお別れなので、「今」に焦点を合わせることが大事。」と。

そう、私が見ているミケの状態は既に過去になるのだ。過去の思い出にお別れになる。経験者からの心強いアドバイスと、同じ痛みのシェアとで心の扉が開かれたかのように。

夜、帰宅してすぐに恐る恐るミケを覗くと目が合った。「あー、生きている。よかった!」、かなりグッタリしていて呼吸も時より不安定に
なってきている。抱っこして、いつものように餌を口に入れようとすると、すごい力で抵抗した。こんな力があるなんて・・・。「もう放っておいて!」と言わんばかりの目で訴えてきた。

この夜はMr.と交代でミケを抱っこしながら、ただただ「ありがとう!」と感謝の気持ちを伝えた。ライトの下でも瞳孔が開いたままなので、今夜が山場と思え覚悟した。それでもいつもと変わりなく、今夜もベッドに運んで3人で一緒に寝ることにした。

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                    ②.「愛猫ミラクル編」へつづく

by yukistar88 | 2010-04-13 13:11 | ペット

NY在住ヒーリングセラピスト。スピリチュアル、空や旅など、好奇心旺盛なる日記を写真と共にお届けします。


by ☆Yuki