4月の思い出「②.愛猫死後のミラクル」
2010年 04月 16日
*4月15日(土)、
なんとなく熟睡できず、午前4時に目が覚めてしまい、枕元にいるミケの様子を伺っていた。体はグッタリだが呼吸も脈もある。名前を呼ぶと、かろうじて尻尾を動かし返事をする意識もある。
土曜日ということで家でゆっくり過ごし、二度寝した夢にミケが出てきた。ミケは病弱であるはずなのに、元気な人間の姿で現れた。歳は猫年齢と同じ17-18才くらいで、やや長髪の貴公子風なアジア系の少年なのだ。この夢から、ミケは私らの息子?と思えば愛おしくなる。
そういえばこんな話を最近、ある友人から聞いたばかりだった。ある日、その友人の霊感のある友人が、彼女の猫を見た瞬間、「この猫は実は白人の男性なのよ!」と言ったという。猫の過去世なのか?そういえば私も退行セラピーで、自分が猫の過去を見たことがあった。
朝一の瞑想では、真っ白な眩しい光が見え、そこに進むミケを感じた。彼はもう準備している。愛と光の世界へ進んでいく・・・・部屋の片隅に普通に過ごすが落ち着かず、部屋の片隅のミケを度々覗いてしまう。
そしてお昼近く、私が掃除している時だった。Mr.が不意にミケの様子を見にいき、「来てごらん!」と呼ぶので駆け寄ると、ミケの呼吸は大きく乱れ苦しそうに、2,3回お魚のように口をパクパクしながら全身で息をして動かなくなった。「ミケ!」と呼んでも尻尾は動かず、脈も心音も消えていった。彼の体は次第に硬直していき・・・・彼は旅立っていったのだ。
4月15日午前11時58分、ミケ永眠。17歳と10ヶ月の生命でした。
心の準備ができていたからか、その瞬間は不思議と悲しくなかった。心の準備というよりも、思い残すことなく、十分に彼に愛情を注ぐことができたからではないかと思う。
こうしてタイミングよく看取ることができたのは、Mr.の方にお知らせがあったからなのだ。ニャンニャンニャンと3回なきながら笑う(?)ミケの姿が、突然、頭に浮かんだので、咄嗟に駆け寄ったそうだ。そう!3日前、Mr.との約束、「ちゃんと看取ってやるからな。」と言う言葉はきちんとミケに伝わっていたようで、こうしてミケの最期、二人で看取ることができたのだ。これは私にとって、生命の臨終の瞬間に立ち会う初めての経験となった。そんな初めての光景に呆然としてしまい、不思議と涙は出なかった。
ミケの最後の担当獣医であるDr.Freedmanにも報告した。彼からのメッセージは、「ミケの死を悼みます。何か手伝うことがあればいつでも電話ください。」という温かい言葉を受け取り、彼のスピリットに感謝を送った。彼は仕事柄、何度も動物の死とも向き合っていることでしょうね。
4月16日、朝方、いつもミケが寝ていた枕元で、モソモソモソと音がした。どうやらまだいるらしい。自分の死に気付いていないのか、暫く側にいてくれるのかもしれない。
4月はEaster、冬から春への季節の変わり目ということで体調を崩したり、旅立つ人も多く感じる。この時期は“生命の転換期”なのだろうか。
4月17日、午後3時、ハーツデールのペット霊園へMr.と向う。ミケの遺体はきれいに棺に納められていた。家族とペットだけが対面できる個室にて最後の別れをさせてくれる。まるで人間並み。体は冷たく、そこにボディ、単なるミケの抜け殻があった。花を捧げ体を撫で「よく頑張ったね。ありがとう!」と抱擁。その時も悲しくなかった。今に向き合い、そして彼の旅立ちと思えば・・・。
火葬焼却炉の前に進み、最後の最後に係りの人がミケを見せてくれるが、もうボディは見たくなかった。1時間後、小さな骨壷に入ったミケの灰を渡された。火葬担当の男性のあまりにピュアな瞳は印象的で、彼のスピリットにも「ありがとう!」を送った。
この後一段落し、緊張の糸が解けたのか気が抜けてしまい、また同時に精神的な疲れが出てきていた。
4月18日、家のテラスに珍しい真っ赤な鳥が一羽止まっていた。その囀りは力強くて美しい。それはまるで最後に声を失ったミケの化身として鳴いているかのようで、「ありがとう。」を伝えにきたかのよう。
外は新緑は芽生え、色とりどりの花々は咲き、なんて爽やかな季節なのだろう。この1ヶ月はそんな余裕もなくいた自分に気付いた。この陽気はとても清々しく感じられ、自然界が励ましてくれているようだった。私は、病弱な姿を見ながら看病している時の方が辛く悲しかったが、ミケの死後は逆に穏やかな気持ちになっていた。
3日経ってもまだミケは家にいるようで、夜中にリビング・ルームでカサカサという音が聞えたり、背中をチョンと叩かれた感触もあった。もしや人間同様、初七日や49日まで、忌が明けないと魂が成仏しないのかなーとも。
ミケの死後、いろいろな発見や不思議な出来事が起きていく。
2ヵ月後の引っ越しに向け、不用品処分・整理しながらミケが愛用していたベッドや食器、玩具も片付けていく。これらの思い出の品を処分するのは、名残惜しい気もするが、一部を除いて捨てることにした。
振り返ると、家を引っ越そうと決心し、新居を本格的に探し始めた3月上旬よりミケは病気の症状が出てきた。そして4/1、新居の申し込みをした日より更に悪化していったのだ。 いろいろなことが頭を駆け巡り、ミケが生まれたのは1988年、享年は数え歳で18歳、人間でいう88歳、この家の番地は88で、8年間住んだ。
こんなにも「8」が並ぶなんて・・・。以前より「8」は、私にとって最も縁のある数字で
ありラッキーナンバー!
結婚したのも1988年8月、世界で一番好きな国ギリシャに行ったのも1998年8月、以前住んでいたアパートも8階、前の勤務先も8という数字に関連していたり、この家に引越してきた時も全く無意識に入居し、気付くと住所は88だった。ということで、ミケも「8」という数字を残して去ったその意味は、この家で最後を迎えたかったのかも・・・そう思えてならない。
そして、ミケの看病をしていた約3週間はヒーリング・セラピーのアポがパッタリ入らなかった。確かに自分でも心に余裕がなく、自らが癒されていないパーフェクトではない状態では相手も癒せるのかどうかという不安もあったので、その期間は看病に集中すべく時間として与えられたようだ。そして初七日を過ぎた翌日からバタバタとセラピーのアポが入ってきたので、まるで「もう大丈夫!」というサインを出されたかのよう。そしてミケの死後、久しぶりのセッションにて驚くべきことが!!
4月26日、ミケが亡くなり最初のセラピーにみえたCさん。Cさんは俯き加減で、「最近、いいことがなく・・・」と喋り始め、「その一つに最近、17歳の愛猫が亡くなって・・・・」と言い出した。「まさか?!」と、私はなぜ彼女が今日ここに来たのか、ここへ何かに導かれて来ていると感じ、この時点で私がまず癒されたかのよう。
驚いたことは、17歳という同じ年齢だけでなく、亡くなった日も同じ4/15、死因も同じ癌で、CさんもNYに移住してすぐに飼い始めた猫ということで全てが一致!ここまでシンクロする人とは、世界広しといえどもなかなか出会えないのでは。互いの猫の死後直後というタイミングといい、これには驚きと興奮のミラクル!
Cさんの猫も最初の検査では癌は発見されず、急に癌腫瘍が出来たというそんな点も共通していた。Cさんは、愛猫の治療に対して色々と悔やみ、愛猫が亡くなってから毎日泣いているという。そんな悲しみに暮れ号泣していたある朝、テーブルの上を見ると、あるはずのない愛猫の髭が1本落ちていたそうだ。「側にいるからもう悲しまないで!」というメッセージに感じたそうだ。
私は彼女の過去や悲しみ・悔やみの気持ちも一切見ることなく、今の彼女を見つめるようにした。そしてCさんの猫からのメッセージを伝え、こうして全く同じ境遇の私達は“Oneness”となり、互いに癒されたのだ。この偶然の出会いは、互いの猫とHoly Spiritが繋げてくれたミラクルであり、二人の間で同時に癒しは行われるという“ACIM”の教えでもある基本のヒーリングとなる。
その翌日の27日、運転中に道路で猫の死骸を発見。しかもミケと同じ茶トラの猫が車に引かれていた。道路で見かける動物の死骸は、大抵リスやアライ熊なのだが、よりによって茶トラの猫というのも珍しいことだった。「車には気をつけて!」
その数日後、不思議とマンハッタンでCさんとバッタリ会った。この時、C子さんも愛猫の写真を持参していて、互いの猫の写真を見せ合うことができたのだ。こうしてすぐに偶然再会したことも、互いの猫の引き合わせなのかも。
その翌週、Nさんの個人セッションをした時には、ミケの話題となり、4/15が命日であることを話すと、自分の息子は4/15が誕生日だという。日付のシンクロというのも偶然じゃなく意味がありそうだ。
そして更なる偶然は・・・1ヶ月後、Cさんとバッタリ会った同じ場所で黒タマのママとバッタリ会った。それは数年ぶりの再会であり、ミケが亡くなったことを報告し、互いの猫談をしていると、黒タマの命日も1年前の4/15であることを知る!次々引き寄せる4/15のシンクロ。黒タマとミケは一度遊んだことのある仲で、互いに同じ命日のその意味は・・・喧嘩した仲でも、実は良き仲間という知らせであるかのよう。きっとあの世でも格闘しながら遊んでいることでしょう。
ミケが亡くなってからというもの、いろいろな偶然な出来事が次から次へと起こるので、これは何時まで続くのか・・・と期待している自分。その後は猫を亡くして悲しい経験を語る人が出てきたり、猫でなく子供に先立たれた人との出会いもあった。
日々起こることすべては無駄でなく、一つ一つに意味がある。何事も経験することで魂の成長があり、悲しみも喜びも共に分かち合うこと、それが人間、人生の原点であろう。こうして「愛猫の死」を経験し、悲しみから分かち合う、シェアする心を与えられた。
2006年7月、新居に引っ越して1ヶ月が経った。
翌日は、ミケとの思い出に満ちた前の家を次の入居者へ引渡しをする日で、「猫は家につく。」というが、きちんと天国に逝ったはずだが、まさか前の家に一匹残っていないでしょうね。・・・などと余計な心配をしてしまう。その前日の夜、一人パソコンの前にいた時、後方でミケの鈴の音が「チャリー、チャリーン」と、はっきり聞こえた。「ここにいる!」
そして最近の嬉しい発見というのは、ミケの死後から4年経った2010年 春。
近所の友人宅の17歳になる猫ちゃんが最近、体調がよくないということで、様子を伺いに訪問した。腎臓機能低下の可能性があるかもしれないので、診察を受けるよう、お世話になった人気の獣医Dr.Freedmanを紹介した。そのアニマル病院のサイトを送ろうとネット検索してみると・・・。
にゃんと、そこにはミケを抱くDr.Freedmanが出てきた。これは4年前に撮影したと思われるが、4年経った今、ミケがモデルだなんて初めて発見することに。親として嬉しい!これは近所の猫ちゃん経由でのお知らせですね。
この日記を投稿しようと、パソコンに向かい、キーボードの上を見ると、昨日はなかったミケの毛が落ちていた。まだまだやるにゃぁ!
更なるミラクルが!!
この4/19、猫の命日が同じCさんと4年ぶりにバッタリ会ったのだ。声をかけると、彼女も先週の4/15に私のことを思い出していたという。4年経った今も続く愛猫のミラクルはすごいなー。