⑤.天も祝福、真珠湾へ羽ばたいた3羽目のサダコ鶴

今や世界に広まっている「サダコの物語」、日本国内より海外の方が有名なのかもしれません。
特にハワイは、広島県出身の日系人が一番多い理由もあり、サダコ鶴への関心も高いようです。


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広島の原爆投下により2歳で被爆し、白血病で12歳で
亡くなったサダコちゃんが、当時病室で
薬の紙で折った小さな折り鶴。1羽目はNYの
グランドゼロのトリビュートセンターへ、
2羽目は、オーストリア ブルゲンラント州
「平和博物館」へ。
3羽目はハワイの真珠湾へ寄贈され、その除幕式が
2013年9月21日の国際平和デーの日に
行われました。ちなみに4羽目は、この10月、
イランのファーラビー映画財団に寄贈されました。
  5大陸目指す5羽目は何処へ・・・?

NY在住の友人和子さんは、世界に羽ばたくサダコ鶴を
ボランティア活動として、その一連の経過をみて
きたので、和子さんと共に、真珠湾での除幕式へ
他の友人らと招待ゲストとして、出席させて頂きました。
初めて訪問した真珠湾、式典の模様をシェアしたく思います。


         沖に見えるのが、戦艦アリゾナが沈没している場所です。



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            上空からみると、このような感じ。



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1941年12月7日の真珠湾攻撃の写真も展示されています。



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除幕式は午前9時からで、その15分前に、なんと
戦艦アリゾナ(左側)からかかる大きな虹が出ました。

これはもう神の祝福としか思えず・・・感動の瞬間でした!



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                  虹をバックに記念撮影



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*9:00am、いよいよセレモニーの始まりです。


061.gifサダコの折り鶴真珠湾寄贈除幕式(入場)、
動画から雰囲気を。また素敵な歌声もお聴きください♪




    (Video by J.Kotaro)


                 和太鼓で盛り上がります。

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       パールハーバー主任歴史家ダニエル氏 開会の辞



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開会の時の後は、東本願寺の住職やハワイ先住民の
聖職者たちによるブレッシング。


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サダコちゃんの兄である佐々木雅弘氏のスピーチ。
サダコストーリーに涙する人も多く。



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               通訳担当するK子さん。


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そして、佐々木雅弘氏の甥である祐滋さんによる「祈り」
英語による絶唱。

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この式典の挨拶の中で一番感動したのは、真珠湾攻撃で
戦没した戦艦アリゾナの乗組員だった92歳のローレン・
ブルーナーさん。佐々木さんに支えられながらの入場でした。



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    (photo by Kazuko)

視力も衰え、喋る声もかぼそく、そんな感動のスピーチは・・・
「サダコも私も戦争を体験し、怖い思いをした。
それが今では日米友好関係にある。
この祝典とサダコ鶴を通して、ここに訪れる人へも
平和の思いを持って帰っていただきたい。」



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彼は折り鶴を何度も練習し、それを佐々木氏へ
渡したいと一心で完成した折り鶴。


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         (photo from Kazuko)

ブルーナーさん作の折り鶴は、もしかしたら
広島原爆資料館へ寄贈されるかもしれません。



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                          (photo by Kazuko)

この除幕式には、各メディアや予想を上回る
約500名のゲストが出席されて・・・。



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代表者たちが寄贈除幕式の儀式を行った時にだけ、
パラパラパラと小雨が降り、その場にいた和子さんは、
まるで神からのブレッシングのような雨だったと。


東本願寺の住職と自分の貯金をサダコ鶴の展示へ寄付した小学生。
 Tree of Life(平和のシンボル)の前で。

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式典後は、サダコ鶴を一目見ようと長蛇の列でした。



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サダコ鶴の展示場。親指ほどの小さな折り鶴が
繋ぐ平和への扉ですね。



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               ゼロ戦の模型


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       ボランティアによる折鶴コーナーも設けられていました。



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源和子さん著者「奇跡はつばさに乗って」も真珠湾の
ショップに売られています。


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日本からの持参されたJちゃんママの折り鶴も
展示されることになりました。レインボーカラーな折り鶴。

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除幕式終了後、ホテルにて、佐々木ファミリーと
少しだけ面会するチャンスがありました。
ハワイ島へも飛び、ヒロの日系人団体へも
大歓迎されたりの多忙スケジュール。



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その翌日は、ハワイ現地日本語ラジオ局KZOOにて、
K子さん除幕式の報告トーク。



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なんとSumiさんと私も元同僚というよしみで、前座
15分ほどラジオでトークしました。
SumiさんはKZOOアナウンサーなので、慣れて
いますが、私は初体験なので緊張。

左の女性は、オバマ大統領が卒業した
Punahou Schoolのピーターソン先生。



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061.gifHAWAII WEB TVの除幕式とプナホウでの
サダコフォーラムの動画をご覧ください。↓






真珠湾でのサダコ鶴の展示は日米のマスコミにも取り
上げられたが、平和・和解への礎として大歓迎される中、
「なんで今さら、わざわざ真珠湾でやる必要があるのか?」と
疑問視する声も一部、日米の市民から出ている。
「奇襲攻撃」vs「原爆投下」の「目的」の違い、
「軍人への攻撃」vs「民間人への攻撃」の違いから、
違和感があるのだろう。真珠湾側の従来のスタンス
「真珠湾攻撃で受けた被害を知らせる」から、
「敵・味方を超え、平和について共に考え、ディスカッション
していく」という真珠湾側の新しいミッションを、私たち
日米の一般市民も、そろそろ受け入れる時期が来たのではないか。 
戦争体験者の佐々木雅弘さん(72)、広島原爆の被爆者)らと、
ローレン・ブルーナーさん(92)、真珠湾攻撃の生存者)
らはサダコ鶴の寄贈を通じて、しっかりと手を取り合っている。
「過去の遺恨」にまだまだこだわり続けていたいのは、私たち
一般市民のほうではないのか?
「平和な世の中を希望する」と言いながら、それが可能な
ことを心の底で信じていないのは実は、私たちのほうではないのか?
ふと、そう感じた。



*日本経済新聞の記事:
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2200L_S3A920C1CR8000/


こちらの動画ニュースで、全ての模様が短縮して
ご覧なれます。



061.gif「パールハーバー」と「ヒロシマ」をつないだ
サダコの折り鶴の展示・ 除幕式が地元・ハワイの
KITV / ABC・ニュースで連日、放送されました。

「驚嘆の念」を代弁してくださっているようです。
ある意味ミラクルであり・・・ぜひお読みください。

http://www.huffingtonpost.jp/yasuhiro-inoue/post_5699_b_3979257.html?utm_hp_ref=fb&src=sp&comm_ref=false



*10/19号のNY週間生活へも記事が掲載されたようです。



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072.gifハワイへ行く日本人観光客は年間通して、かなり
多いようですが、ここ真珠湾へは、日本人にとっては
行き難い場所だったことでしょう。私も今回初めてでした。
しかし、サダコ鶴の展示により、ゲートが開いたかのように
日本人も受け入れやすい場に変わったのではないでしょうか。
まだ行かれたことない方は、ぜひ足を運んでみてください。



                       ⑥.アロハ・フェスティバル&レディース・ディナーへつづく




                055.gif{広島市立大学の井上泰浩教授がコラム}

20年以上も前のことを私は思い出していた。私が日本人だ
とわかると、隣に座っていた高齢の白人アメリカ人夫婦は
私を睨みつけ、立ち去った。

真珠湾攻撃を記念するアリゾナ記念館での出来事だ。

そして2013年9月21日のアリゾナ記念館。
原爆症のため12歳で亡くなった佐々木禎子さんの「折り鶴」の
展示開幕式が行われた。式に出席した禎子さんの兄雅弘さんと
92歳の戦艦アリゾナの生存者ローレン・ブルーナーさんは
手を取り合い「私たちは友人同士だ」と満面の微笑みを浮かべていた。

除幕式で演説をする真珠湾国立記念碑公園の学芸員は、
「折り鶴は小さいものです。でも、そのインパクトはとてつも
ないものです」と、むせび泣きながら話した。
雅弘さんは「ありえないことですよ」と感動を表現した。

今年の春から、私はハワイ大学マノア校で真珠湾攻撃と
原爆投下の政治的関連性について研究をしている。
禎子さんの折り鶴が真珠湾のアリゾナ記念館資料館に展示
されることを知ったときは、「それは、ありえないだろう」と思った。

アリゾナ記念館は、真珠湾攻撃で犠牲になった兵士を
弔い記念する慰霊碑だ。
それだけではなく、奇襲攻撃を受け大被害を受けた
真珠湾を国家の「屈辱の日」とし、「リメンバー・パール
ハーバー」を標榜して「日本を打ちのめして完全勝利」
することを誓った聖地なのだ。そして、この誓いを
果たしたアメリカの戦闘をたたえる「武勇記念国立公園」
でもある。

一方、「禎子の折り鶴」であるが、物語としての
「Sadako」は児童文学や絵本を通して日本よりも
むしろアメリカなど欧米の子供たちの方がよく知っている。
平和の希求を
象徴することはもちろんだが、生きることへの希望、
そして無念さを読者の心に刻む。

このことは、原爆の残虐性、無辜の少女までもが犠牲者に
なる無差別性、そして原爆症がいつ発症するかわからない
射能の恐怖も同時に読者に伝える。
言い換えれば、アメリカの戦争行為に対する痛烈な
非難である。

つまり、象徴するものが真正面から衝突する「真珠湾」
と「禎子さんの折り鶴」は政治的には「併存」できる
ものではなかった。

95年の終戦50周年にワシントンのスミソニアン航空
宇宙博物館で予定されていた(広島に原爆を投下した)
エノラゲイ展示のことを思い出す必要がある。詳しくは
書かないが、原爆投下を巡る展示内容が「史実に基づいて」
記されていたこと、そして、被害の実相を伝える遺品や
写真が展示予定だったことから、退役軍人会、パット・
ブキャナンら保守派の政治家、ワシントンポストなど多くの
マスメディアが総攻撃を仕掛け大政治問題になった。

中でも、焼け焦げた少女の弁当箱の展示計画は「日本人に
同情的だ」とやり玉に挙げられた。

軍や保守派の原爆に対する見解は、軍事基地を攻撃した
正当な戦略的行為であり、それによって日本を降伏させた、
というものだ(注1)。この見解は「信仰」とも呼べる
もので、原爆による市民の被害を伝えるものは、彼らに
とって絶対に許せないものだ。展示は中止になり、館長は
辞任に追い込まれた。

2歳の時に被爆、その後白血病を発症してしまった少女の
遺品、原爆症と戦いながら生きる希望を祈りながら作り
続けた折り鶴が展示品になりえることは「ありえない」
ことだった。

このように原爆の展示が葬り去られる事例がありながらも、
どうして「禎子の折り鶴」の真珠湾展示は実現できたの
だろうか。

禎子さんの願いを理解する人々の強い思い、佐々木家の
仲介役になって活躍されたニューヨーク在住の源和子さんの
献身的な努力(注2)、ハワイの日系人社会の結束力、
そして、これから説明することが結実したのだと思う。

原爆投下を決定したトルーマン大統領の孫であるクリフトン・
トルーマン・ダニエルさんが真珠湾の太平洋国立公園の知人の
学芸員に打診したことが大きい。禎子さんの兄雅弘さんの
「大胆な」願いをダニエルさんが共感して快諾してくれたのだ。
雅弘さんが直接持ちかけたのであれば、政治的な配慮によって
どうなったかわからない。

最後に、最大の要因といえるのが時代と世代の変化である。
エノラゲイの展示が政治的な大問題となったのは1994年だ。
80年代のアメリカによる「日本たたき」、いわゆるジャパン
バッシングの残滓が色濃く残り、なにより太平洋戦争で
帝国日本と戦った退役軍人がまだ多く存命の時だ。今では
退役軍人のほとんどは天に召され、存命者は90歳を超える
高齢である。政治力の低下は言わずもがなだ。

そもそもエノラゲイ展の内容を企画したのは博物館の
学芸員である。国立公園局の学芸員も同じで、リベラル
かつ公正な人が圧倒的に多い。そして、90年代から
真珠湾は融和の地になるべきだという意識が芽生え
始めていた(注3)。
「スミソニアンを繰り返してはならない」という
意識もあったはずだ。

この流れが結実したのが3年前のアリゾナ記念館展示館の
大変革だ。
「Remember Pearl Harbor」によって「屈辱を継承する」
という意味から、
「Pearl Harbor to Peace」へと大転換した。
テーマは、「融和」(reconciliation)である。

資料館の展示は単に真珠湾攻撃を展示するだけではなく、
第2次世界大戦に至る。近代日本の歴史、社会変化、
産業化、軍事化について史実に基づいた公正なものに移行した。
これは私の解釈であるが、なぜ日本は真珠湾攻撃を「せざるを
得なかったか」の背景についても力点が置かれているように感じた。

こうして、少女さえもが犠牲になることを伝える展示が実現したのだ。
「禎子の折り鶴」は真珠湾に平和と融和の願いを添えてくれたと思う。

注1. 歴史学的には、日本の降伏はソ連の参戦が決定づけたのであり、
原爆投下の影響は限定的だった。
注2. 源さんの著書『奇跡はつばさに乗って』に詳しく記されている。
注3. 真珠湾攻撃50周年式典演説でブッシュ大統領(父)が
「我々は融和へと進む準備はできている」と呼びかけたことが
転換のきっかけになったと推測できる。



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Commented by chiemitti at 2013-10-19 23:28 x
除幕式のときの歌声は生歌なのでしょうか?
とっても澄んだ声できれい〜。
もっと聞いていたい〜・・・と思ってしまいました。笑。

そうそう、そうなんです。
去年ハワイに行ったときも、ここには、ぜんぜん行きたいと思えなかったのですね。「こんだけひどいことされちゃったんだよ〜」ってこれみよがしに建物が建てられている気がしてしまい・・・
それを受け止める度量??がこちらにはまだ、なかったというか・・・

きっとそういう人は他にもいるかもしれませんね・・・

でもサダコ鶴のお陰で、ほんとに行き易くなったでしょうね〜
サダコ鶴がそういうものをすべて大きく包み込んで、溶けさせてくれた、みたいな。
(今度ハワイに行く機会があったら行ってみたいなあと思えました)

かずさんの本、英語版も発行されたのかと思っちゃいました!!!
(ぜひとも翻訳されて欲しいですね〜)
Commented by yukistar88 at 2013-10-20 02:17
*chiemittiさん、コメントありがとう!
動画の歌声、いいでしょう。それがポイントでもあります。
最後、きれちゃったね。澄んだ声、ライブだったと思います。
神聖な雰囲気で、ジーンときていました。

確かに、ハワイ観光・買い物・最近は癒しやエコもブームですが、
真珠湾ツアーはないですよね。多分・・・?
やはり日本人見学者は他のスポットと比べると見ないです。
避けてしまうには、仕方ないですが、でもアメリカ人が広島原爆
資料館へ行くのと同じことですから、やはり現実を知るべきですね。
サダコ鶴を見る目的でもいいでしょうし、戦艦が沈没しているところまで
船で行くのですが、
今回は時間なかったので、残念でした。次回にでも。
chiemittiさんもぜひぜひ。そして周りの方へもお知らせくださいまし。

英語版は、これから取り組むそうです。K子さんの使命ですね。
by yukistar88 | 2013-10-19 13:06 | 世界の旅 | Comments(2)

NY在住ヒーリングセラピスト。スピリチュアル、空や旅など、好奇心旺盛なる日記を写真と共にお届けします。


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