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三大宗教とセントラルパークのオベリスク

*11/26
NY中央図書館で開催中の「世界三大宗教展」へ友人と見学へ。
すっかりクリスマスモードの図書館。
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展示のほとんどは、聖書やゴスペル、コーラン、ユダヤ教の啓典などで、
イスラムの考えでは、イスラムもユダヤ教もキリスト教もアブラハムを一神教の
始祖とする「アブラハムの宗教」となる。
その唯一の神が、モーセ・アラビア語ではムーサと呼びますがーを通じて地上に
送ったのがユダヤ教の「律法の書」であり、イェス・アラビア語ではイーサと呼ばれ、
イスラムの創始者ムハンマド(マホメット)は、モーセやイエスと等しく預言者であり、
ムハンマドは「預言者の封印」すなわち最後の預言者であるのがイスラムの認識となっている。
キリスト教の場合は、キリストとしてのイエス、三位一体のキリスト、場合によっては
聖母マリアなども崇拝の対象となっている。
「コーラン」には、イエスキリストもマリアのことも書かれているそうだ。
 
ユダヤ教、キリスト教の啓典と 「コーラン」は同じものであり、神と最後の審判を真摯に
信じるならば、ユダヤ教徒やキリスト教徒にも天国が約束されるといわれる。
しかし、イスラムの見解ではそれらの民は啓典を誤って自分勝手に解釈している、
それを正すために啓示されたのが「コーラン」であると。

図書館の外では、マイケル・ジャクソンのモノマネ・パフォーマンスが・・・。071.gif
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似ているかな・・・?時間がなくて最後まで見られずに残念!
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Mid TownからUp Townに移動して、セントラルパークにあるエジプトから送られた
オベリスクを見に行く。セントラルパークに着くと夕焼けが丁度綺麗でした!026.gif
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10月のエジプトで見てきたオベリスク、NYにもあると知り、やっとここに来れたね。
すると、鳥のさえずりがあまりにかわいくて・・・聴いてみて!



トトメス3世はオベリスクを少なくともヘリオポリスに2本,カルナックに7本,
合計9本立てたと言われ、そのうちの2本のオベリスクをアレキサンドリアの
カエサリウム神殿へと、アレキサンドリアに運んだが、神殿は荒廃してオベリスク
だけが残ったが,1303年の地震で1本は倒れ,もう1本は健在でした。
倒れていた方は先にロンドンに運ばれ,残った方が後にNYに運ばれたそうだ。
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1881年2月22日,1万人以上の人々が見守る中で除幕式が行われ,
当時の国務長官ウイリアム・マクスウエル・エバートは次のように問いかけた。
「実際、我が国はそれがどんなに不法なことだとしても実現可能とあれば何でもやるだろう。
だがオベリスクは我々にこう尋ねるかもしれない。『おまえたちは永遠にこの繁栄が続くと
思っているのだろうか?富が蓄積すれば、人類は滅びることがないと思っているのか?
贅沢という名のやわらかなひだがこの国のまわりをぴったりと包んでくれれば、
国民の精力と活力が尽きることもないと考えているのだろうか?衰弱がおまえたちの上に
しのび寄っても、それでも国家が滅びることを知らずにすむと思っているのか?』
このような問いに答えられるのは様々な歴史の営みをながめてきたオベリスクだけだろう。
我々の短い生涯の中では、とても答えることの出来ない問いかけである。」
(訳:吉村作治,出典:六興出版「エジプトのオベリスク」1985年)

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この後もビリビリくる雲が流れていった。
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この後にメトロポリタン美術館のエジプト展へも足を運んだが、その模様は次回に。

*11/29
マクロビ料理のベーシックⅡクラスの第5回。
    メニューは、玄米太巻寿司、
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                  野菜鍋、
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玄米おにぎり、千切り大根、野菜の水炒め、アプリコットと蓮の実入り黒豆
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*11/30は日本から来ているAYAさんと望診のクラスへ。
この日に見た空もゴージャスな雲でした。
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清美先生宅のココアちゃん、ちょっと体調崩し、治療の翌日でよく寝ていましたが
帰り際に、「ココアちゃん、バイバイ!」と叫んだら、ベッドからさっさか玄関まで走って来た!
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             ココアちゃん、お見送りありがとう!


072.gif月刊「ザ・フナイ」8月号に掲載された 千賀一生さんのエッセイのつづき

③.「文明人は何を失ったのか」

さて最初にふれた幸せについてであるが、私は、この体験の中にすべての答えを
見つけられる気がするのである。
後に、中国の少数民族の人々と輪になって踊る体験をした時、私は同じような一体感に
包まれる体験をした。これだ、と思った。なぜな彼らが日々踊るのか、その本当の
意味を確信できた。 どこの地域の先住民であろうと彼らがよく踊ったのはこのためだろう。
踊るとは。体で人を感じ、体で世界を感じることだ。
私たちと文明人が失ったものはこれだ、と思ったのである。

私がフォークダンスで体験したものは、私らがかつてあたり前に体験していたこれだったのだ。
私たちが失ってしまったものがここにある。
花を知るのに、教室で写真と絵を見ながら、これがオシベで、これがメシベで、
と教わるのと、美しく咲く花々であふれる草原で、花のにおいを全身で感じながら花に
出会うのと、どちらが幸せだろうか。
全身で感じ、全身で把握する幸せ。
私たちの遠い祖先は、そうした幸せの中にあった。
現代の私たちが求めるような観念的な幸せは、彼らにはほとんどなかっただろう。

人骨の研究者たちの報告によれば、歯を調べることによって各時代の人々のストレスの
度合いが推察できるのだそうだが、あらゆる年代の日本人の内、最もストレスが少ない
のは縄文人であるという結果が出ているのだそうだ。
ストレスは、精神的なものだけではない。衣食住からくるストレスも多分にある。
そうしたすべてを総合して縄文人が最もストレスが少ないということは、彼らがいかに
うまく幸福感をつくりあげることができたかを物語っている。

現代人に縄文人をイメージさせると、自然とたくさんふれあう生活を連想しやすい。
私たちには自然とのふれ合いが欠けているから不自然なのだと、短絡的に考えやすい。
だが、私たちのまわりは、本当はいつも自然に囲まれている。私たちのまわりには
「空間」という大自然の根源がいつも広がっている。これは縄文人も現代人も、
まったく変わりない現実だ。 ただ違うのは、その「空間」との交流にある。

現代人は目の前にある最も自然である「空間」と、交流することなく生きている。
自身と外を隔ててしまう観念のバリアの中で生きている。
知識や情報の教育によって巨大にふくらんだその観念によって、明日をわずらい、
過去を悔い、あれやこれやと、思いの迷路の中をさまよって生きている。
そしてそうした隔たりゆえに、人と人がぶつかり合い、傷付け合う。

だがそんな私たちも先住民の踊りのような人類にとっての最も自然な体感行為を
続ける時、「空間」という大自然の根源との交流感覚が目覚めてくる。
空間と戯れ、空間を舞う。その感覚が自身の中に定着すると、他の人を見た時も、
その人がどれほど空間と交流できているかが分かるようになるものだ。
空間との交流が立たれている人は、共時性が働かず摩擦の中に生きることになるものだ。

先住民の人々が日々踊ったのは、この、空間との交流感覚を知っていたからに違いなく、
13歳のあの時、クラスのみんなと一つになれたのは、毎日の ように踊ったことで、
人間が本来もつ、この空間との交流感覚が呼び覚まされ、その同じ空間を共有する
ことで、皆と共鳴したからに違いないと思うのである。

                          つづく
by yukistar88 | 2010-12-02 14:59 | NYの街並み

NY在住ヒーリングセラピスト。スピリチュアル、空や旅など、好奇心旺盛なる日記を写真と共にお届けします。


by ☆Yuki