前回のジャマイカ滞在中、現役の首都ワシントン在住、
マリーン(海軍)に所属している中年男性が声をかけてきて、
彼は昔、沖縄のベースに駐留していたそうで、 どうも彼らが
話しかけてくる目的の一つに、日本の米基地に駐留した
当時を振り返り、日本での生活の思い出をシェアしたい
気持ちもあるように思えました。
他のゲストとの挨拶の際、必ず「何処から来たのか?」
「何処出身か?」といった会話からスタートするのは、
ごく普通な社交辞令的なこと。
2006年に訪問したメキシコでのディナーの席で感動する出来事がありました。
それは・・・合い席になったオハイオから来てたアメリカ人
男性は、当時76歳の退役軍人。
彼が、Mr.に日本のどこ出身か聞いてきて、「Hiroshima」と
答えたその後、しばらくして彼は口を開いた。
自分は61年前の第二次世界大戦当時、広島市内の病院に
駐留していたと。被爆者の悲惨な光景を思い出したのか、
ほろ酔い笑顔から急に強張った表情となり、原爆を投下した
ことに対し、頭を下げ私たちに謝罪してきたのです。
Mr.は「もう過去のことで私らに謝ることでなく・・・」と、
戦争に対して、アメリカ人から謝罪されたことは、この
時が初めてで、これには私もジーンときてしまった。
長い年月が過ぎても、彼の心の片隅にずっと抱いていた
原爆に対する罪の意識があったのでしょうか。広島の病院で、
被爆者たちを目にして、10代というまだ少年兵士には、受け
入れられない程のショックがあったのではないかと思います。
恐らく彼と同様、特に広島に駐留していた退役軍人も同感な
思いを抱いている方もいらっしゃることでしょう。
観光とは、その土地の光を観ると共に、国境を越え、
個人ベースの交流、そして、平和交流の場でもあり、
そんな機会を今後も受け取りたく思います。