広島原爆の犠牲となった米兵の映画&スプリング・ホームパーティ
2016年 05月 14日
5/11、
この日、知り合いの少女が8時間に及ぶ大手術を受け、
少女に向けて、大勢の方々が心を1つにして祈りました。
治りますよう、元気になりますよう、と願うのことは
普通ですが、もっと深く、ワンネスの存在であることを
意識しての祈り方をしていきます。
祈る場合、まず相手のスピリットに挨拶から
CRSのオーナーでACIM(奇跡のコース)講師でヒーラーの
香咲弥須子さんからお祈りに関して受け取ったコメントを
紹介します。
「〇〇さんの奇跡の力をわたしが受け取れますよう
助けてください」
「〇〇さんを通して生命の限りない強さを見られるよう、
夢の中で愛のしるしに出会えますよう助けてください」
「ご家族の心の穏やかさと微笑みをわたしが確信できる
よう助けてください」
「そして、〇〇さんからわたしへ、わたしから世界中の
祈りの仲間へ聖なる力が流れますように」と祈ります。
★身体を見て、何とかしてあげたいという思いが出てきたら、
「この思いを手放して、〇〇さんの真の姿が見られるように
助けてください。」と祈ります。
そして、「わたしに〇〇ちゃんの力を世界に伝える役割を
くださってありがとうございます」と再度感謝し、
感謝の思いを細胞1つ1つにしみ込ませます。
祈りの内容にある”愛のしるし”ですが、
少女のオペの前夜に、祈り・・・
その翌日、オペが始まる午前11時頃に、
急に外で普段聴いたことないくらいの
鳥のさえずりが聴こえてきました。
ハッと思って・・・
あまりに力強く鳴くので動画記録。
更に・・・
午後6時、オペが終わる1時間前頃は、
空を見上げたら、天使の羽のような雲が
浮かんでいるのを見て、
あ~、無事オペが終わるんだと思いながら、
祈りの中にいる時、その少女を通して、
皆さんと愛のシェアリングが行われている、
そんな穏やかなエネルギーに包まれた一日でした。
ヒーリング・サークルが始まります。
興味ある方は、こちらまで。
5月も雲がいい感じです。
5/4の夜から4度目のホスティング・エンジェル。
前回は、2015年5月でした。
エンジェルを家に泊めるという儀式はドイツ人の
ミディアム(霊能者)によっての2010年に
ニューヨークで始まりました。高位のある
無名のエンジェル達が緒彼女のもとに訪れ、
映画「ペイ・フォワード 可能の王国」(原題:
Pay It Forward)による啓示を与えました。
この連鎖が20回に達すると世界中に影響を
与えることができるということです。
それはあなたやあなたの家族と家に大天使
たちの光を宿すことは名誉あるギフトです。
5人の大天使 (ミカエル、ガブリエル、ラファ
エル、ウリエル、メタトロン)
のホストとなることは、彼らの人類、母なる
大地、そして宇宙のすべてへの奉仕を
あなたがより直接的にサポートすることに
なるのです。
つづきは、こちらのリンクへ:
プッチーくんも天使が気になりますにゃ。クンクン
2日目にエンジェルも増やして
アップグレードでね。
グリーンも喜んでいます。
*4/24
猫ママの会がScarsdaleで行われました。
定例の猫親パカさんの集まりであります。














彼女は、特に2007年から広島・長崎の被爆者と
繋がり、平和活動のボランティアをしてきて、
第二次世界大戦中のトルーマン大統領の孫と共に、
被爆者との間のアテンドや通訳、そして、世界各地へ
のサダコ鶴の寄贈などのサポートも行ってきました。
昨年11月には、トルーマン大統領図書館へサダコ鶴の
寄贈式典のお手伝いもあり、その後にこの賞を受賞し、
長年の活動の集大成もあり、注目されたのだと思います。
米・教育新聞 Education Update (オンライン版)







アメリカでは、原爆でアメリカ兵が死亡して
いたことはほとんど知られておらず、原爆犠牲の
米兵遺族と広島男性の交流を描いた内容を映画化、
日本でその上映会が行われたようです。
この映画製作したアメリカ人監督フレシェットは、
広島市に住む被爆者森重昭さんが、広島に投下された
原爆で当時、捕虜として収容されていたアメリカ
兵12人が死亡していたことを調べてきた、そんな
森さんの取り組みに感動し、この映画を作る決意を
したそう。
その事実をアメリカに住む遺族たちに
伝えてきたドキュメンタリー映画だという。

この映画を製作したバリー・フレシェット監督が
都内でインタビューに応じ、「アメリカでは
原爆で12人のアメリカ兵の捕虜が亡くなったことは
ほとんど知られていない。残された遺族たちの
ために長い時間をかけてアメリカ兵に何が起きた
のかを明らかにしてきた森重昭さんに光を当てる
ことが製作のきっかけになった」と話したという。
映画では、森さんがアメリカに手紙を何度も
送って遺族を捜し出し、国籍に関係なく犠牲者を
追悼したいという思いを伝えたことや、広島を
訪れた遺族が森さんと対面する様子などが記録
されているそうです。

広島市の平和公園にある国の追悼平和祈念館には、
原爆で亡くなった人の名前と遺影が登録され、
一般に公開されているという。この中には原爆が
投下された際に広島市内で捕虜として収容されて
いたアメリカ兵も登録されているという。
祈念館への登録には遺族からの申請が必要で、
その手続きに尽力したのが被爆者の1人で、
長年、原爆で死亡したアメリカ兵の調査を
続けてきた広島市に住む森重昭さん。
森さんは「原爆の悲劇に国籍は関係ない」として、
アメリカにいる遺族を捜しあて、申請書を書いて
もらったり、遺影を送ってもらったりしたという。
その結果、平成16年に初めてアメリカ兵の名前と
遺影が登録されて以降、祈念館には、これまでに
アメリカ兵12人が登録されたという。
戦後何十年もたってからできたことだ。
原爆で死亡したアメリカ兵の存在を巡っては、
アメリカ政府が80年代前半まで公式に発表
しなかったことなどからアメリカ国民の間では
ほとんど知られておらず、森さんによると、
遺族の中には森さんが連絡を取るまで被爆して
死亡したことを知らなかった人もいたといいます。

米兵は、19歳の時に広島沖で対空砲火を受けて墜落した
爆撃機の乗組員ノーマン・ブリセットさん。
当時は広島や山口の上空で複数の米軍機が撃ち落とされ、
米兵捕虜が爆心地から約500mの中国憲兵隊司令部
(現中区)などに分けて収容されていたとされる。

フレシェットさんが映画製作を思い立ったのは2012年。
実家の近所の知り合いがブリセットさんの遺族だと知り、
「米国にも原爆犠牲者がいたことに衝撃を受けた」。
遺族らを取材する中で、被爆者の森重昭さん(77)
=西区=が被爆死した米兵について長年調査してきた
ことを知った。森さんの全面協力を得て、今回、昨年
2月に次ぐ広島での撮影にこぎ着けた。

フレシェットさんらは原爆資料館で「市民が描いた
原爆の絵」を見た。被爆直後の惨状とともに憲兵に
連行される米兵捕虜を描いた一枚にアルチンスキーさんは
「原爆に遭って苦しんだ多くの人たちを思うとつらい」
と涙をこぼした。この絵が描かれたとみられる、
中国軍管区司令部などがあった広島城周辺を歩いた。

憲兵隊司令部に勤めていた父を職場に訪ね、
原爆投下の前日に米兵捕虜を目撃した中村明夫
さん(82)=大津市=も駆け付けた。
ブリセットさんを見た記憶はないものの、独房の
状況や自身の被爆体験を証言した。
アルチンスキーさんの父レイモンドさん(85)は、
今でも兄のブリセットさんの名前を口にするだけで
涙を流し無言になるという。
「私も事実を知るのはつらいが、伯父の最期の地に
ついて父に伝えようと決心して広島に来た」という。
ブリセットさんの爆撃機を目撃した人に会い、
亡くなったとされる南区宇品地区を訪れる。
(金崎由美、山本慶一朗)

フレシェット監督は映画の重要なシーンとして、
森さんとアメリカ兵の遺族が初めて会う場面を
取り上げ、「森さんは実際に遺族と会えるとは
考えていなくて緊張していたが、異なる文化、
グループの人たちが1つになった場面だった」
と話したそう。
そのうえで、「みずからも被爆者でありながら
広島に原爆を落としたアメリカのために活動を
続けてきた森さんを通して、戦争を2度と繰り
返さないためにも実際に何が起きたかを理解し、
忘れないことが重要だと伝えたい」と述べ、
広島の被爆の実態を後生に伝える重要性を
指摘したそうです。

森さんは「長年、1人でやってきた調査の
ことを思い出し、涙が出てきました。
多くの人に見てもらえて夢のように
感じました」と話していたそう。
今年2月に完成したこの映画はアメリカでも
上映される予定で、フレシェット監督は、この
映画を通してアメリカ国民にも核兵器の悲惨さを
伝えたいとしているとのこと。
今年は、このような核兵器撲滅運動なる動きもあり、
オバマ大統領の広島訪問も注目されますね。
友人が、このような記事を紹介してくれました。
「 2人のK 大統領動かす」とありますが、
実は「3人のK・・・」ではないかと・・・
そう、和子さんのサポートもあり、サダコ鶴が、
トルーマン大統領図書館に寄贈されたことも
大きな節目となり、今回のオバマ大統領広島訪問
へと動かした見えない意識としてあると感じます。
グースファミリーの散歩
動画でもどうぞ!
by yukistar88
| 2016-05-14 13:25
| イベント














